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公益社団法人2025年日本国際博覧会協会における重要課題や専門的事項について、専門知識や技術、経験等を有する方から助言をいただきながら開幕に向けての準備を着実に進めています。
大阪府出身。独学で建築を学び、1969年安藤忠雄建築研究所設立。代表作に「光の教会」、「ピューリッツァー美術館」、「地中美術館」、「こども本の森 中之島」、「ブルス・ドゥ・コメルス/ピノー・コレクション」など。1979年「住吉の長屋」で日本建築学会賞、1993年日本芸術院賞、1995年プリツカー賞、2005年国際建築家連合(UIA) ゴールドメダル、2010年文化勲章、2013年フランス芸術文化勲章コマンドゥール、2021年フランスレジオン・ドヌール勲章コマンドゥールなど。イェール、コロンビア、ハーバード大学の客員教授歴任。1997年から東京大学教授、現在、名誉教授。
私は大阪生まれの大阪育ち、幼いころから御堂筋や中之島の光景に親しみ、このまちを誇りに思いながら生きてきました。万博は、様々な国の人々が集い、未来に向けた新たなビジョンを共有できる絶好の機会です。多様な文化の交流が実現するこの好機に、ぜひ世界中の人々に関西・大阪の文化やその魅力を知っていただきたいと考えています。
掲げられたテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。この「2025年大阪・関西万博」が、人生100年の時代、真に豊かに生きるとはどういうことか、社会に対し私たちに何が出来るか、その答えを、大阪から世界にむけて発信する場となること、そして何より、次代を担う子どもたちに、未来に向けての新たな希望と可能性を示してくれることを心から期待しています。
京都府出身。小野妹子を道祖として仰ぎ、室町時代にその理念を確立させた華道家元池坊の次期家元。2015年に専好襲名。京都にある紫雲山頂法寺(六角堂)の副住職。いのちをいかすという池坊いけばなの精神に基づく多彩な活動を展開。2012年から諸災害の慰霊復興や人々の幸せや平和への願いを目的に、西国三十三所を巡礼し献華を行った。現在、公益社団法人2025年日本国際博覧会協会副会長(理事)や大阪・関西万博催事検討会議共同座長、アイスランド共和国名誉領事を務める。
この世はさまざまないのちで溢れています。
そして日本には古来、いのちに対する美学と哲学が存在していました。 16世紀、池坊専応は“枯れた花にも華がある”と説きました。これは、あらゆるいのちに対する尊敬と共感であり、共に生き世界を創ろうとする思いです。
混沌とした現代社会にあって、日本で開催される大阪・関西万博が契機となり、ここでの取り組みや展示・活動が課題克服の一助となって持続可能な社会の構築につながりますよう、そして生きとし生けるものすべてのいのちが輝きますよう頑張ってまいります。
1978年吉本興業株式会社(現・吉本興業ホールディングス)に入社。2009年代表取締役社長に就任。2019年に代表取締役会長に就任。2023年6月取締役を退任。
2009年3月「沖縄国際映画祭実行委員会」実行委員長に就任。2014年京都国際映画祭を立ち上げ、同年10月「京都国際映画祭実行委員会」委員に就任。2018年2月内閣官房 まち・ひと・しごと創生本部事務局「わくわく地方生活実現会議」委員に就任。2019年6月内閣府「基地跡地の未来に関する懇談会 委員」に就任。2020年内閣府「知的財産戦略本部 構想委員会 コンテンツ小委員 委員」に就任。
2021年9月「鳥取大学医学部附属病院運営諮問会議」委員に就任。2022年4月近畿大学 客員教授を委嘱。2023年3月「全広連日本宣伝賞・正力賞」受賞。
2023年5月大阪・関西万博催事検討会議共同座長に就任。
現在、一般社団法人 mother ha.haを設立し代表理事に就任。
社会課題先進国のニッポン。
そんな世の中の課題や子どもたち、若者たちの不安を万博で世界デビューさせましょう。長く、大変な道のりになると思います。
だから楽しんで、お祭りのように。
大阪府出身。1966年、関西大学在学中に、桂小文枝(故・五代目桂文枝)に入門。1967年、ラジオの深夜番組に出演、1969年にテレビの司会に抜擢されてから、数々のレギュラー番組を担当する。1981年「創作落語」を定期的に発表するグループ・落語現在派を旗揚げし、現在までに330作以上の作品を発表。二度の文化庁芸術祭大賞、芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞した。2003年上方落語協会会長に就任。上方落語の定席「天満天神繁昌亭」建設に尽力した。2006年秋には紫綬褒章を受章、2007年には菊池寛賞を受賞。2012年7月16日、六代桂文枝を襲名。2015年 旭日小綬章受章、同夏には「同一司会者によるトーク番組の最長放送」として、ギネス世界記録に認定された。
2017年7月、芸能生活50周年を記念して、富士山初登頂。山頂にて奉納落語も行った。
2018年3月から大阪市24区創作落語プロジェクト「参地直笑祭(さんちちょくしょうまつり)」を開始。2020年3月4日、無観客のなんばグランド花月にて自身の300作目「ハッピー・エンジェル」を発表した。2021年より「夢みる二人会」、2022年「翌檜の会」など、新たな落語会を始動し、また、「桂文枝の落語家55周年記念独演会」も実施した。2023年7月16日には80歳を迎え、各地にて「桂文枝 傘寿記念落語会」開催。現在は、創作落語500作完成を目標にさらに邁進している。
1970年大阪万博の時は27歳
全国放送の司会陣の中に入っていました
また万博を大阪で迎えられるなんて夢のようで、感動、感激の極みです。
ぜひ万博の様子を全国に伝えたい
もしも2度やれたらこんな幸せなことはありません。
とにかく万博は世界の知恵が詰まった玉手箱。
ぜひみなさんにこの興奮をお届けしたいです。
奈良県出身。生まれ育った奈良を拠点に映画を創り続ける映画作家。一貫した「リアリティ」の追求は、ドキュメンタリーフィクションの域を越えてカンヌ映画祭をはじめ、世界各国の映画祭での受賞多数。世界に表現活動の場を広げながらも故郷奈良にて2010年から「なら国際映画祭」を立ち上げ、後進の育成にも力を入れる。現在、大阪・関西万博テーマ事業プロデューサーも務める。映画監督の他、CM演出、エッセイ執筆などジャンルにこだわらず活動を続け、プライベートでは野菜やお米を作る一児の母。
70年EXPOの喧騒を私は知らない。太陽の塔の前でよちよち歩きの自分が不思議そうな顔をしている写真が唯一の想い出だ。「人類の進歩と調和」はポジティブな前面の赤い太陽と後面の黒い太陽が象徴するように、この55年の歳月をどのように歩を進めて今日まで歩んできたのか?まもなくそのひとつの到達点、もしくは通過点としてEXPO2025を迎える。あの頃の情熱を越えてゆく勢いは、まだ見えない。それは静かに深く夢洲の空に向かって羽ばたく力を蓄えている最中だろうか。50年、100年先の子どもたちに誇れる祭典であれるよう「未来社会の実験場」は来たるその日を待っている。
ニューヨーク市出身。日本文学研究者。早稲田大学特命教授。早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)顧問。国文学研究資料館前館長。近世・近代日本文学が専門で、特に19世紀(江戸後期~明治前半)の漢文学と、それに繋がる文芸ジャンル、芸術、メディア、思想などに関心を寄せている。テレビでMCやニュース・コメンテーター等を務める一方、新聞雑誌連載、書評、ラジオ番組企画・出演など、さまざまなメディアで活躍中。現在、公益社団法人2025年日本国際博覧会協会理事も務める。
最初の大阪万国博覧会が開かれた1970年、わたしは小学6年生。その5年前に博覧会はニューヨークで開催され、遊びに連れていってもらった。70年と言えば、地元で体験した万博の記憶がまだ鮮烈に残っていました。Osaka Expo 1970の文字を見て「日本」のイメージはあまり湧かなかったけれど、胸が熱くなったのはそのためです。日本から万博関連グッズがたくさん輸入され、子どもの間で大人気でしたが、わたしが気に入ったのは「タイムカプセル」のミニアチュア版。小さな壺の台に「5000年後にひらく球」と日本語で書かれていました。せっせと遠い未来の人類に向けたメッセージを書き、カプセルに入れて、近所にあった公園の地面深く埋めたのでした。
博覧会と聞くと「未来」を思い浮かべます。当然、平和とともに持続する繁栄を願って未来を築くのは、それぞれの場所で「今」を生きる一人一人の責務です。行きたくても行けなかった1970年の大阪万博に代わって、わたしは一周回ってシニアアドバイザーとなり、「いのち輝く未来社会」を色んな角度から考え、提言する場所に立っています。ありがたいことです。歴史の中で積み上げられた日本の感性と技術が世界と交わり、しっかりと明日に向かって無数のカプセルに生まれ変わることを願ってやみません。わたしは、会場に足を運び、子どもたちの目の輝きが早く見たい。
大阪府出身。文化服装学院デザイン科在学中、新人デザイナーの登龍門といわれる装苑賞を最年少の19歳で受賞。東京を拠点として、1978年から2000年までパリコレクションに参加。1985年北京、1990年ニューヨーク(メトロポリタン美術館)、1994年ベトナム、1996年キューバ、1999年ポーランド、2009年ミャンマー、2018年スペインなど、世界各地にてファッションショーを開催。1970年の大阪万博では3つのパビリオン(生活産業館、ペプシ館、タカラ・ビューティリオン)のユニフォームを手掛けた。現在、大阪・関西万博の催事検討会議委員も務める。
大阪・関西万博は、海の万博。世界の万博にふれることは大きな体験です。
国との出会い、人との出会い、建築との出会い、物との出会い、食との出会い、
事との出会い。あらゆる方面での出来事は、必ず将来の大きな発展につながります。
東京都出身。専門は光量子物理学。1980年東京大学理学部物理学科卒業。修士課程、博士課程中退、理学博士。東京大学理学部助手、同工学部物理工学科講師、助教授、教授、同大学院理学系研究科物理学専攻教授、理学系研究科長 理学部長を経て、2015年から2021年まで第30代東京大学総長。「社会を変革を駆動する大学」を謳い新しい大学経営モデルを提唱した。国内外の産業界との組織対組織の連携、グローバルコモンズセンターの創設、日本初の超長期大学債の発行など、ユニークな視点での大学改革が国内外から注目された。2022年から現職。
EXPO’70で日本が世界に示したコンセプトは「規格大量生産型の近代社会」であった、と堺屋太一さんは語っています。自動化と品質管理によって高品質で廉価な製品を大量に提供する産業イノベーションは、日本を経済大国に押し上げました。それから半世紀、科学技術は飛躍的に進歩し、生み出されたサイバー空間は物理空間とまざり合い、私達の日常と社会を変貌させています。一方で、地球温暖化や国際紛争など、大きな力を得た人類の行動がグローバルな脅威を拡大していることも忘れてはなりません。
「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマとする今回の万博は、「いのち」をみつめなおし、生きとし生けるものすべての多様性を確認し、慈しむ心を蘇生させる貴重な機会です。かけがいのない地球を守るため、私達は倦まず弛まず諦めず、新たな知恵を創造し、共感をはぐくみ、行動しなければなりません。それこそが人類の輝かしい成長となるはずです。
マリ共和国出身。高校卒業と同時に国の奨学金を得て中国に留学。北京語言大学、南京東南大学を経て1991年来日。1999年、京都大学大学院工学研究科建築学専攻博士課程修了。博士(工学)。専門は空間人類学。「京都の町家再生」「コミュニティ再生」など社会と建築の関係性を様々な角度から調査研究している。バンバラ語、英語、フランス語、中国語、関西弁を操るマルチリンガル。京都精華大学人文学部教員、学部長を経て2018年4月から2022年3月まで、京都精華大学学長を務めた。現在、公益社団法人2025年日本国際博覧会協会の副会長(理事)や海外コミュニケーションディレクターも務める。
世界の人々が一度に集まって、世界課題を共有し、解決の糸口を探そうとするこのイベントの意義が大きい。私の出身であるマリ共和国を含むアフリカ諸国が万博に参加し始めた時、独自の意思ではなく、未開地、植民地などの立場で、如何に見下して表象するかが主流でした。まだ記憶に残っているhuman zoo(人間動物園)などの事例が挙げられます。近年の万博はテーマも表象の仕方にも変化が見られます。つまり、世界課題について、それぞれの地域、国や組織がどのように取り組んでいるのか、またその中でどのようなパートナーシップが生まれるのか、それを探る場となっています。大阪・関西万博はSDGsとそれ以降(Beyong)を考える最後の舞台となります。パンデミックを経験した世界はこの万博が新たな国際舞台のあり方を示唆するチャンスではないかと思います。個人的には、世界の若者が中心になって、ネットを作りながら自分たちの未来を模索する、これが万博のレガシーにつながるかと思います。毎日をいっぱい楽しみたい万博になるように!
京都府出身。臨済宗大徳寺管長・僧堂師家 中村祖順老師のもとで参禅得度。斎号『坐忘斎』を受く。祖順老師没後、大珠院 盛永宗興老師のもとで参禅。2002年、裏千家16代家元となり今日庵庵主として宗室を襲名。現在、 (公財)京都文化交流コンベンションビューロー副理事長、(公財)生涯学習かめおか財団理事長、(公財)稲盛財団理事等のほか、大阪・関西万博の催事検討会議委員も務める。
1970年の大阪万博と違い、この半世紀の間に世界との距離は随分近くなったように思います。
しかしそれは錯覚。
地図を開けばわかりますが、世界各国との距離は依然として同じまま。
インターネットの利便性頼みの中、私たちはつい知っていると思い込み、その油断から他国に対する敬意を忘れがちです。
いろいろな意見のある中で開催されるこの度の万博が、そのことに気付く契機となればと願うばかりです。
岐阜県出身。工学博士。専門はデータ工学。1975年京都大学工学部卒業、80年京都大学大学院工学研究科博士後期課程修了。京都大学工学部助手、カナダ・ウォータールー大学客員研究助教授などを経て、1992年大阪大学工学部教授。その後、大阪大学サイバーメディアセンター長、文部科学省科学官、大阪大学大学院情報科学研究科長、同理事・副学長などを歴任し、2015年8月から現職。情報処理学会会長、日本データベース学会会長等を歴任。
「SDGs万博」とも言われる2025年大阪・関西万博は、「いのち」の原点に立ち返り「誰一人取り残さない」活動を世界に広め、「いのち輝く未来社会」を実現するためのムーブメントを起こす絶好の機会であると認識しています。そのためには、産官学民の垣根、国や民族、文化や宗教の違いを超えてグローバルな対話を行い、未来社会を構想し、実現のためのアイデアや行動を共有し、今後の指針を示さなくてはなりません。大阪大学は、関西経済連合会、大阪商工会議所、関西経済同友会とともに「いのち会議」を立ち上げ、大阪・関西万博においてSDGsの達成と次のゴールを見据えた「いのち宣言」を発出します。こうしたムーブメントを起こすためには、学生や若者など、次代を担う人びとが積極的に参加し、主導することが重要です。この度の大阪・関西万博が、2025年以降も継続されるソフトレガシーを生み出す場として歴史の転換点となるよう、私はシニアアドバイザーとして、社会の様々なステークホルダーの皆様方と共に、未来社会の共創(Co-creation)に積極的に貢献してまいります。
新潟県出身。1972年に東京藝術大学大学院 美術研究科 工芸専門課程(鍛金専攻)を修了。日本藝術院会員、文化功労者。イルカをモチーフとした「シュプリンゲン」シリーズなどの作品で、国内外で多数の美術展に参加。「日本現代工芸美術展」大賞・文部大臣賞・内閣総理大臣賞や「日展」特選・内閣総理大臣賞等を受賞。2012年日本藝術院賞受賞。東京藝術大学教授・学部長を経て、2005年から同大学学長として2期10年に渡り大学経営を務めた後、2016年4月より文化庁長官に就任し、日本の文化行政の舵取りを担う。2022年日展理事長に就任。現在、東京藝術大学名誉教授・顧問、文部科学省参与、長岡造形大学客員教授のほか、大阪・関西万博の催事検討会議委員も務める。
この度の大阪・関西万博のテーマである「いのち輝く未来社会のデザイン」というコンセプトのもと、世界中の人々のアイデアを交換し未来社会を「共創」する場となっています。私はその中で一番大切に、また原点となることは、「からだの健康」がなければならないと思っています。そしてその「健康」の中で「こころの健康」がなければならないのです。人と人の「共創」を作り上げるのには「健康なこころ」を持ち続けること。つまり心身共に健康でなければならないということです。それらの結果から生まれ出でること。これが社会の健康となっていると思います。いま せかいはとても不安な情勢となってきています。このような時こそ この大阪・関西万博のテーマになる意義を成し遂げるためには「NATUREVERSE」の世界を創ること!では、「NATUREVERSE」とは何か!?それは人々の「Well-being」が実現する世界です。すなわち「からだの健康」「こころの健康」「社会的な健康」の実現です。
この三つの健康のもと明日を生き抜く大きな力と成り万博の成功となると思っております。
東京都出身。霊長類学者、ゴリラ研究の第一人者。京都大学理学部卒、同大学院で博士号取得。京都大学霊長類研究所などを経て、2014年から2020年まで第26代京都大学総長。屋久島で野生ニホンザル、アフリカ各地で野生ゴリラの社会生態学的研究に従事。 日本霊長類学会会長、国際霊長類学会会長、日本学術会議会長、総合科学技術・イノベーション会議議員を歴任。2021年から現職。
「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマは、1970年の大阪万博以来、私たちが大きく依存してきた科学技術による開発志向を大きく転換させるメッセージである。いのちの存在する生物圏は半径約6400キロメートルの地球の表層わずか19キロメートルに過ぎないが、太陽のエネルギーを受けて大気と海洋と陸地の環境を安定に保ってきた。その調和が近年の人為的活動の影響で大きく崩れ、多くのいのちが失われている。その在り方を見直すためには科学の論理だけではなく、アートの発想を生かしながら人間以外のいのちを尊び、多くのいのちと共生する未来を描かねばならない。今回の万博がその転換点になればと期待している。
京都府出身。1980年に京都大学文学部哲学科を卒業後、1989年に大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。学術博士(大阪大学)。大阪大学文学部助手を経て、1988年から国立民族学博物館に勤務し、2017年国立民族学博物館長に就任。2019年民族藝術学会会長。専門は、アフリカにおける造形と儀礼の人類学的研究及び博物館・美術館における文化の表象のあり方の研究。アフリカを中心に、仮面や儀礼、憑霊信仰についてのフィールド・ワークを続ける一方、ミュージアム(博物館・美術館)における文化の表象のあり方を研究し、その作業から得られた知見を反映した展示活動を国内外で展開している。
文明の転換点を迎えたと思える今、世界には新たな分断が生じてきています。
それだけに世界の人びとが言語や文化の違いを超えて、半年ものあいだ一カ所に集い、経験を共有し、互いの理解を深めるという万国博覧会の役割が、これまでになく求められているように思われます。
しかも、2025年の大阪・関西万博は、はからずも同時にコロナ禍というものを体験した人類にとっての、その後の初めての万博となり、しかもこれも、はからずも「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマとし、「いのち」に焦点を当てた万博になリました。
世界の人びとが、ここ大阪に集り、それぞれの立場から「いのち」の大切さを振り返り、「いのち」の震えを体験し、未来における「いのち」のあり方をともに構想することができれば、それこそが、今度の万博の最大のレガシーになるのではないでしょうか。
皆さんと、万博の場でお会いできるのを楽しみにしています。