シグネチャーパビリオン『いのちめぐる冒険』の音楽を担当したのは、河森正治プロデューサーとは30年来のご縁だという作曲家・プロデューサーの菅野よう子さん。このパビリオン内にある二つの体験型シアター「超時空シアター 499秒 わたしの合体」と「ANIMA!」で体感できる、通常の映画などとは全く異なる「音楽体験」は、どのように形作られていったのか…… 菅野さんに存分に語っていただきました。
―そもそも、菅野さんにとって「万博」や「博覧会」とは、どういうものでしょうか。
菅野:万博や博覧会への参加体験は初めてです。1970年の大阪万博も観ていないですし、今回の一つ前のドバイ国際博覧会(2021年~2022年)も、その前のミラノ国際博覧会 (2015年)や上海国際博覧会 (2010年)も行っていません。2005年の愛・地球博や、それ以前の国内の様々な博覧会や地方博も含めて、お仕事をしたことも、お客さんとして観に行ったことも一切ないんです。なので今回の大阪・関西万博に音楽家として参加したことが、私の初めての万博体験になります。
―通常のイベントの規模を遥かに超え、テーマパークともまた違う、この万博会場の雰囲気。実際に体験されてみていかがでしたか?
菅野:建設中の会場にはかなり早い時期、おそらく2024年の6月頃から出入りしていました。まだどのパビリオンも立ち上がっていないような時期から、だんだんと会場が形になっていく様子も見ています。2024年の12月から開幕の2025年3月までは、ほとんど会場に入りびたりでした。
まだまだ建設中の、「道がない」とか、「水が出ない」とか、「トイレがない」みたいな時期から、ヘルメットをかぶって泥んこの地面を歩き回っていたので、準備スタッフや建設作業の方のご苦労を共に実感しながら会場が完成に近づいていく様子を見ていました。だから、開幕した会場を見た時に、単に完成した会場を初めて見る感覚とは違う、確かに人が一つ一つ手がけた実感を伴う感慨深さがありました。
意図的なのか違うのかは私には分かりませんけど、この夢洲という広大な埋め立て地で「良きもの」を作るために、やっぱり何か神様のようなものを呼び込もうという気持ちが無意識に働いていたんじゃないかなと、この現場に来てみたときに感じたんです。大屋根リングは「聖域」の境界のようですし、その中心に森があって、そこから参道が伸びてウォータープラザの「水上の鳥居」のようなものにつながっていく。「いのちめぐる冒険」のあるシグネチャーパビリオン周辺は、その「想い」を高める象徴の場所のようにも思えます。「良きもの」を作るためには、こういう気の流れが必要なんじゃないか? みたいな、日本人の深層にある感覚が、自然に現れてきたような感じするんです。私自身も、そういうアジア的な感覚を自覚しながら、今回の万博に参加しているつもりです。
―では、河森正治プロデューサーのシグネチャーパビリオン「いのちめぐる冒険」について伺いたいのですが、こちらのプロジェクトにはどのような経緯で参加されたのでしょうか。
菅野:河森さんとはアニメ『マクロスプラス』(1994年)の頃からのご縁で、そこからアニメ『地球少女アルジュナ』(2001年)、『創聖のアクエリオン』(2005年)、『マクロスF』(2008年)など、いくつも作品をご一緒してきましたので、もう30年以上のお付き合いになります。「いのちめぐる冒険」へは、河森さんから直接、参加要請をいただきました。初期の頃は毎週木曜日に定例会議があって、そこに時々顔を出して進行状況を見ていたんですけど、語りたいこと、子どもたちに伝えたいことがあり過ぎて、内容がちょっと硬直してしまっているように感じていました。でもある時、河森さんが不思議な覚醒をして、すごくスッキリと風が抜けていくようなストーリーラインを送ってきてくれて、「あ、これだったら大丈夫!」と私も直感したんです。それが、「超時空シアター 499秒 わたしの合体」のベースになっています。あの時、何が起こって覚醒したのか、河森さんにずっと聞いてみたいと思ってるんですけど(笑)
メカデザイナーであり、SF作品の創作者でもある河森さんは、世界中の科学博物館に足を運んでいて、「科学の知識を得ることは学びにはなるけど楽しくはない、エンターテインメントの世界は楽しいけれど学びにはならない。では、その両方を兼ね備えたものを創るにはどうすればいいのか……」 そういう課題を何十年も考え続けている人です。その中で、まだストーリーも決まる前に私に音楽のオファーをしてくださったのは、たぶん「エンターテインメント」側の部分をなんとかしてください、ということなんだろうなと、私は感じていたんです。科学館では得られない、「面白かったね!」の部分を求めていらしたんだろうなと。
―「いのちめぐる冒険」の中心とも言える「超時空シアター 499秒 わたしの合体」の音楽制作について、お聞かせください。
菅野:今回のパビリオンに対する河森さんの考え方が注ぎ込まれた、「いのちは合体・変形だ!」という言葉がありますよね。河森さんのメカデザイナーとしての経歴をご存知の方にはピンと来ますけど、そうでない方は、「は?」と思ってしまうような(笑) でもこれって別にメカの話をしてるわけじゃなくて、生命に対する河森さんなりの驚きと感動を凝縮した言葉なんだと、私は考えています。
蝶がイモムシからはサナギになるとき、サナギの中には幼虫の形は無くて、ドロドロした謎の液体に変わるじゃないですか。その状態から、どうしてあの美しい色や形の羽根を持った蝶が出てくるのか…… 人知の及ばない奇跡みたいな現象です。そのことがどれだけ奇跡的なことか、今この瞬間に生きていることがどれだけすごいのか……という畏敬の念と不思議。河森さんはそういうものを伝えたいとおっしゃっていました。ですので、河森さんの驚きと感動、喜びとパッション、それに対する私の共感が、「超時空シアター 499秒 わたしの合体」の音楽の正体です。河森さんの心の動きを、私が音楽に翻訳したような。
いくつかのワードは河森さんから先に頂いていました。その中にあったのが、「太陽から光が発して地球に届くまでの時間は499秒」という言葉です。生命の根源である太陽の光が、地球に到達して生きものたちに降り注ぐまでに必要な時間ですから、それならばいっそのこと、この499秒をショーの上演時間そのものにして、太陽の光の旅路を実体験してもらうのが良いんじゃないですか? と、河森さんに提案して、まず499秒間を満たすための音楽のデモから作り始めました。
―今回の楽曲「499秒」は、葉音さんの謡う「ワカンタンカ」と、中島愛さんの歌う「499秒」の二曲メドレー構成になっていますが、これにはどういう意図があったのでしょうか?
菅野:最初は生命の起源や原始の頃のイメージから始まっていくので、太古のイメージのプリミティブなサウンドや、言語化以前の「祈り」の感覚が欲しいと思いました。後半は、未来に向かって走る生命の進化のイメージが大切なので、スピード感あふれる表現にしたい…… そういう前半後半のメリハリのために、曲調もボーカリストも分けたメドレー楽曲になりました。ボーカリストもしっかりとオーディションを行い、何人もの候補者の中から葉音さんと中島愛さんを選ばせていただきました。
「ワカンタンカ」は、太古の人たちが雨宿りでたまたま洞窟に集まり、知らない者同士で焚き火を囲みながら、うまく通じない言葉で伝説や物語を語りあっているような雰囲気。その、たまたま集まった30人が同じ夢のようなビジョンを見て、雨が止んだら、またバラバラに立ち去っていく…… そういうイメージで作っています。葉音さんの歌う歌詞は、あえて何を言っているのかよく分からないようにしました。それは、言葉が完成するよりも前の世界の様子を表現したかったから。言葉って、思っているほど解像度が高くないと私は感じています。言葉にした途端に物事がすごく平たく見えてしまったり、話が小さくなる感じがしたり。だから、少なくとも前半の「ワカンタンカ」には意味のあるワードを入れたくなかったんです。
後半の「499秒」は、光の速さとか、途方もない距離感とか、旅路の長さを表現するのに必要な「スピード感」を最優先に作っています。もちろん中島愛さんの声の持つ、人の心をつかむ明るい要素も大切です。生命の進化を描く音楽ですから、やはり「希望」も必要なんです。
―「超時空シアター 499秒 わたしの合体」では、約30名の参加者それぞれがVRゴーグルを装着して、映像・音響を空間的に体験する特殊なシアターです。サウンドづくりにも、何かとご苦労が多かったのではないでしょうか。
菅野:はい、けっこう大変でした。簡単に言うと、既存のもの組み合わせだけではうまくいかないので、一から機器やシステムを開発するのに等しい準備が必要でした。音はVRゴーグルからも、壁面のスピーカーからも出ているんですが、デジタル機器の処理や伝送速度の問題で、これがどうしてもズレるんです。環境音だけならそれほど気になりませんが、一定のテンポで流れる音楽を聴くとなると、0.0数秒のズレがとても気になります。これはVR世界への没入感の大きな妨げになります。技術チームは大変な努力と時間と手間をかけて、この課題を乗り越えてきたんです。この場を借りて本当に感謝したいと思います。「これなんでズレてんの?なんとかして!」とか、気楽に言ってしまって、ほんとにごめんなさい(笑)
―もう一つの体験型シアター「ANIMA!」では、音楽というよりも、不思議な「音」がたくさん詰まったような音響演出に思えたのですが。
菅野:「ANIMA!」のほうは、まず音で床が震動するシステムを活用することが前提でプロジェクトが始まっています。かなり早い時期に広い倉庫を借りていろんな音で実験してみたんですが、それがあんまりおもしろくない…… そんな印象だったんです。なので、どんな音が足の裏から鳴ると楽しいかを第一に考えながら、まず「音」から作り始めました。「ANIMA!」の場合は音楽ではなく「効果音」から作り始めたんです。
真っ暗闇のシアターの中ですから、最初は歩き回る余裕なんてなくて恐る恐る一歩進んでみる……みたいな感覚ですよね。それって、真っ暗な森の中をはじめて歩く感覚に似ていると思って。どこに次の足を置くのか迷いながら、一歩進むごとに虫が鳴き止んだり、カエルが鳴いたり。時々よく分からないものを踏んじゃって、「ギャッ!」みたいな声がするとか。そういう体験そのものをここで再現してみたいね…… そんなふうに河森さんと話ながら、まずはこのシステムで聴いてみたい「効果音」だけを積み重ねて、10分くらいの流れを作る作業から入りました。
結果的には、効果音だけで組んだ流れに映像を付けていただくことで全体が見えてきました。実験的に音と映像を合わせてみた時、「あ、ここには音楽があった方がいいな」と思った箇所にだけ、最後の最後に音楽を入れ込んだような作り方になりました。その音楽は、今話したように暗闇の森を歩く怖さとワクワク感がどんどん積み重なっていっての、爆発的な命の誕生を表現しています。その何かが生まれるまでに、何億年もの時間、何億もの命の積み重ねがある…… それをギューっと凝縮するような感覚で作りました。
―演出音響と連動して床面が震動する「ANIMA!」のシステムも、完成までにいろいろなご苦労があったのではないですか?
菅野:皆さんあまり気づいていないかもしれませんが、このシステムは、ただ床面から音が流れて震動しているだけじゃないんです。一つは、震動する床面がいくつかありますが、それぞれ違う音、違う震動が出ています。もう一つは、「踏むと鳴る」仕組みのインタラクティブなシステムであること。これこそ、森でよく分からない生きものを踏んじゃって「ギャッ!」……の、あの体験の再現です。もちろん踏まなくても鳴っている音もあるんですが、それとは別に、「震動面1シートのうち、この部分を踏むと、この音が、この大きさで鳴る」という仕組みを、すごく細かく設定してあるんです。加えて壁面スピーカーからの音ももちろん出ているので、その総合的な音場の制御を行うシステムには、やはり一から開発するような手間と時間がかかっていますね。最終的に、音楽、効果音、床の振動の演出と、そのタイミング、揺れ幅の設定までをソニーのチームに混じって監修させていただきました。大変でしたけど、ほんとうにおもしろい作業でした。
―最後に、「いのちめぐる冒険」のお仕事全体を振り返ってみての感慨のようなものがあれば、お聞かせください。
「超時空シアター 499秒 わたしの合体」も、「ANIMA!」も、映像のイメージやストーリーライン、体験システムなどが固まる前に、ほとんど勝手に「音」から作り始めちゃったことになりますね。「まず音から作ってください」なんて、誰にも頼まれてないのに(笑) でも、太陽光の「499秒間」をお客様に体感・実感していただくためには、「時間そのもの」である音楽で間合いを図るのが一番でしたし、足の裏から音がする仕組みをおもしろく使うには、どう考えても「よく分からない不思議な音」が鳴る状況を作ったほうが楽しいですから。音から始めたのは最適解だったと思います。
埋め立て地だったこの会場で、「いのち」をテーマにした万博を催す以上、たとえ疑似体験であっても、生きものであふれた海や森と共にある感覚を再現したいという思いは、河森さんと私の共通の願いでした。私はその実現のために、「音」の側から精一杯、河森さんの背中を押してみたんですけど、みなさん、いかがでしょうか? ……そんな気持ちですね。
―今日は貴重なお話を、本当にありがとうございました!
●インタビュー・執筆:不破了三
【菅野よう子(かんの ようこ)】
作編曲家/音楽プロデューサー。
NHK東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」
アニメ作品「COWBOY BEBOP(日/1998)(米/実写版/2021)」「地球少女アルジュナ」「マクロスF」「攻殻機動隊 S.A.C」「天空のエスカフローネ」「創聖のアクエリオン」
2019年天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典、奉祝曲「Ray of Water」の作編曲・献奏指揮
Netflixシリーズ 是枝裕和監督「舞妓さんちのまかないさん」
2023年Newsweek誌「世界が尊敬する日本人 100人」に選出。
【関連リンク】
「いのちめぐる冒険」 公式サイト:https://shojikawamori.jp/en/expo2025/
超時空シアター「499秒 わたしの合体」オフィシャル動画:https://www.youtube.com/watch?v=_zlbRZ1PS0M