一般社団法人吉野と暮らす会
2024.03.05
「伝えたいのは木の循環のストーリー」 奈良・吉野の後継者たち 次世代に向けて Vol.1
ベンチ材を確認する吉川さん、辻さん、丸さん(左から)

欧州の「石の文化」に対し、日本は「木の文化」で世界に知られる。奈良県吉野地域は500年の歳月をかけ、その文化の担い手として「木の循環」を引き継ぎ、守り続けてきた。吉野の後継者たちがCo-Design Challengeで世界に向け、「循環の中に存在する吉野材のベンチ」を送り出す。新しい吉野ブランドを再構築するため、ベンチに込めたストーリーを伝える。

“一目千本”の山桜で知られる吉野地域は、古くから「木のまち」としての顔ももつ。特に、玄関口の近鉄吉野線・吉野神宮駅周辺は、原木市場や製材工場が立ち並び、木材の流通拠点「吉野貯木場」として栄えてきた。ところがいまは、全盛期の5分の1程度まで事業者数が減り、少し寂しさが漂う。

「子どもの頃はすごく活気があったが、ここ数十年でどんどん人が離れていった。林業や製材業の衰退が全国で進んでいるが、500年の歴史をもつ吉野も例外じゃない」。駅近くの「吉野中央木材」専務取締役、石橋輝一は実感する。石橋は県外の大学に進学し、大阪や東京で会社勤めを経験したが、27歳で家業を継ぐために戻った。同じように製材業の親のもとで育った同世代の多くは、いまも故郷を離れたままだ。

吉野地域は日本の造林発祥の地とされる。1ヘクタール あたり8000本以上を植林する「密植」、10年おきに少しずつ間引きする「多間伐」、樹齢100年以上まで育てる「長伐期」。三つの独自手法で、長い年月をかけ、丈夫でまっすぐ、美しい色艶、柔らかな香りを放つ特性を育んできた。緻密(ちみつ)な製材加工技術を経て、全国に送り出されたスギ、ヒノキは、高度経済成長期の旺盛な木材需要を支え、「吉野材ブランド」を盤石なものにした。

それでも、時代の荒波には抗えない。木造家屋の減少や輸入材の自由化などで、1970年代に最盛期だった木材価格は下落の一途を辿(たど)り、製材所の稼働率が悪化。比例するように担い手も減り続け、創業者が一代限りで暖簾(のれん)を下ろすケースが相次いだ。

そんな危機に立ち上がったのが、後を継いだ有志で2012年に結成した「吉野と暮らす会」だ。やはり、Uターンで家業を継いだ「丸商店」代表取締役、丸充彦は振り返る。「離れてみて初めて気づいた。吉野材の特徴や技術、木のある暮らしは一朝一夕では築けない。大切に引き継がれてきたものを守り続ける。これは後を継ぐ者の宿命だと」。石橋や丸、さらに若い世代を加えた20~40歳代の10人程度で、500年にわたってつないできた「木の循環」を伝える活動をスタートさせた。

Vol.2に続く

吉野中央木材株式会社 専務取締役 石橋 輝一さん
株式会社丸商店 代表取締役 丸 充彦さん

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